Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

何を書くの?

f:id:saxman220:20150724064205j:plain

いくつも書きたい内容があって、そして実際書いていくうちに、これは不特定多数に向けて発表されるんだぞという意識が働きます。
政治と宗教と野球の話はするなとよく言われます。
これは価値観により様々な意見があって然るべき分野だからです。
人の柔らかいところに土足で踏み込んではならないとも言えるでしょう。

最近の世の中の情勢は驚くほど変化していて、一億総コメンテーターを可能にするSNSの存在から、皆毎日のように政治ネタを投稿しています。
僕はこれにどこか違和感を感じるのです。
SNSとはネットの中の社会。
リアルと同じように政治と宗教の話は程々に収めるべきなんじゃないかと思うのです。

斯く言う僕にも政治的な見解が実はあって、自分なりの意見を持っています。
でもそれをあからさまにSNSに発表していいのかは僕には判断できません。
それは僕自身が、あまりにも極端な発言を見聞きする事によって、それを投稿した人自身へ人格的な疑いを持ってしまいかねないからなのです。
でも実際にはおもわず書いてしまったり、記事をシェア、リツイートしてしまうことはあります。

メディアに出て、自分の意見をハッキリと言わなければならない仕事の人達というのは、もちろんものすごく勉強されているし説得力がある。
右左に関係なくです。
それらをいろいろ見聞きする中で、徐々に取捨選択し自分の価値観が決まってくる。
それには偏った考えに行き過ぎないために、いつも柔軟な姿勢でいないといけません。

ミュージシャンや映画関係者など、広くそれぞれの分野で活躍している人達も最近はどんどん発言しています。
割と偏った意見を持っている人の方がその声が大きいように感じます。
影響力がスゴイですから、きちんと勉強してから発言して欲しいのですが簡単に発言できる今という時代はそれを許しません。

昔はインターネットなどありませんでしたから、そういうのを発表するのはライブのMCであるとか書籍であるとかインタビュー記事とかそういう発表までに時間のかかるメディアで展開するものでした。
伝わるまでの時間もものすごくかかるし、その範囲も大したことはない。

だから上手くいっていたんだろうと思います。
これほど一気に広まるようなメディアがある時代には、発言には気をつけないと本当に大変なことになりかねないのです。

壮絶なイジメをしていたという某有名ミュージシャンの記事を読みました。
その人の音楽は素晴らしいし、その記事を読むまではその人個人に特になにも思うところはありませんでした。
しかし、その人は学生時代ものすごく酷いイジメをしていたそうで、それをインタビューで平然としゃべり、あまつさえそのいじめていた人にまた会ってみたいとまで半笑いで(行間から読める感想)語りました。

完全な糞野郎です。
本当に知りたくなかった。

イジメられた経験のある僕は、もうその人の音楽もあまり聞きたくなくなりました。
わかってますよ、それとこれとは全然違うことなんだってことは。
でも僕には無理です。

有名な歌詞なので、実名をあげますが、尾崎豊さんの「15の夜」という曲があります。
~盗んだバイクで走り出す 行き先もわからぬまま~
僕が実際にバイクの盗難に合うまでは特になにも感じませんでした。
しかし、ローンをまる一年残してあっさりと盗難にあって呆然と立ちすくんで以来、この曲を聴くと虫酸が走るようになりました。
バイクの盗難を美しい青春の1ページであるかのように歌っているこの曲が…

わかってますよ、それとこれとは全然違うことなんだってことは。
カラオケで「I Love You」は歌いますしね。

とにかく、何を発表して何をしないのかはその書き手の価値観で変化します。
よくツイッターをバカ発見器などと言ったりするのは、そういうことなのです。
未成年なのに飲酒のツイートをしたり、芸能人の来店を写真付きでツイートしたりとか、いろいろあります。
ちょっと考えれば分かるはずなんですが…
これは、世界中の人に見られる可能性を考えていないということなんだと思います。
しかも誤解を受けやすいというオマケまで付いているというのに…。

難しいですね、そういうリテラシーって。