Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

もし、宝くじに当たったら…という妄想

f:id:saxman220:20160514012922j:plain

blog.livedoor.jp
あるあるですが、もし宝くじに当たったらという話ってしますよね?
今や、6億円ですからね、話は壮大になります。
でも、本当かどうか、当たってもこんな感じ(上の記事↑)だときついです。

大卒男性の生涯賃金の平均は2億5千万円というから、まぁ、人の倍以上の生活は保障されているはずです。
でも、大概は放蕩しちゃうらしく、人生がめちゃくちゃになってしまうケースも多いと聞きます。

自分だったら…

とりあえず、嫁以外には絶対に口外しません。
互いの両親にまとまった額を渡し、後はそんなに変化なく暮らしますね。
ただ、時々行く旅行が少し豪華になったり、タクシーに躊躇なく乗ったりはするかもしれないけど、そんなもんでとどめたいです。
なんだったら残りを息子に渡したい。

創作活動や演奏活動には大金はいらないんですよね。
オーケストラで自分の作品を鳴らしたいとかあれば別ですけど。
なんか、物欲がそれ程でもないので、妄想も広がりませんね。
豪華レストランに一回だけ行くより、安い所に3回行きたいたちなんですよね。

欲望の総量が多い人の方が大成するなんていいますけど、ここのところそれで散々叩かれている人が目立つからなぁ。
思いもしないお金って、どんなにデカくてもあぶく銭なんですよね。
あぶくの様に消えてなくなる。
いや、消えてなくした方がいいのかも。

自分が当たってる訳じゃないし、そんなに夢見がちな年齢でもないから、このボンヤリ回はこのへんで終わりにします。

秋葉原。

f:id:saxman220:20160511011552j:plain

ラジコンを中学時代に夢中でやっていて、ホビーラジコンの専門店がある秋葉原には何度となく通いました。
まだメイドカフェとかアニメショップなどはなく、家電を取り扱うお店とコードやコネクターなどの電気部品のお店がほとんどでした。
当然、客層はおじさんばかりで中学生の僕はそういう雰囲気も嫌いじゃなかった。

先日家族3人でどういうわけか秋葉原に出向きました。
するとGWの中日だったせいか、そこはものすごい人でした。
普段秋葉原に行くとすれば、自作のパソコンを3~4年に1度程度見直しているので、その時期だけです。しかも目的の店にしか行きませんし、用事が終われば即帰ります。

久しぶりに、行った秋葉原はなんだか全く違う街になっていました。
客層も若いアニメ好きっぽい男性と自撮り棒を持った外国人観光客がほとんどで、家族連れなどはほとんど見ません。
街にはアイドルソングやアニメソングが常時かかっており、巨大な萌えキャラのイラストがそこかしこに…、それだけでちょっと怖くなってきます。
客引きのメイドさんの間に、昔からそこにいたであろう電気部品店のおじさんの方が、なんでここにいるの?的な雰囲気に包まれている始末。
平日の通勤ラッシュを思わせるほどの人混みで、身重の嫁はもう二度と来たくないと漏らしていました。

あの昭和の、のんびりとした秋葉原はどこへ行ったんだ?
巨大化したオタクの街、秋葉原には独特のエネルギーに満ち溢れ、ついていけない者を拒んでいるようです。
もともと興味のなかった分野ですが、アニソンや美少女アニメっぽいイラストを見るだけでちょっと今は嫌悪感を覚えるようになってしまいました。
少しすれば落ち着くでしょうが…

今更なんでしょうが、これは単なる一過性のブームなんでしょうか?
異様と感じた自分のほうがおじさんになってしまったということなんでしょうね…。

テクノロジーのジレンマ

f:id:saxman220:20160502180552j:plain

最近の技術革新はめざましく、中でも注目されているのはドローンと自動運転。
どちらも本当に素晴らしい技術だし、完璧に完成すれば文句なしに生活を一変させる可能性がある。
ただし、完璧でなければならない。

完璧でないドローンは事故を起こします。
確か、アルペンスキーの世界大会かなにかで、選手の滑走中に撮影機器を取り付けたドローンが墜落。
あわや、と言うところで衝突は免れたものの、本当にヤバかった。
自動運転はまだ目立った事故はないものの、事故が起こった際の責任は誰にあるのかという議論がよく聞かれます。(今調べたら、○oogleが事故ってた-!)

実はこの手の話って、ものすごく昔から言われていていて、車が世の中に出回った頃とか、旅客機で人を運び始めた頃とか…
1つの例外もなく、何か新しい技術が開発されると、必ず犠牲者が出ている。
だからと言って、誰も技術の進歩を止めることは出来ない。
全世界の交通事故の犠牲者数を知ったとしても、車が世の中からなくなるはずもない。
それほどに人は便利さを愛し合理性を求めているから。

今度某国営放送で死んだ恋人をAIで蘇らせるって内容のドラマを放送するらしいです。
死の悲しみを乗り越えることはせずに、ただ技術によってごまかす。
今後あり得る話です。

個人的にはテクノロジー大好きです。
新しいiPhoneを手にすると、もう前のには戻れないと毎回感じる。
最近進化のスピードが緩んできたパソコンも、リニューアルする度に、たとえ使えたとしても前のはただの大きな文鎮と化する。

我が楽器、サックスはどうか?
サックスという楽器は、アドルフ・サックスさんという一人の楽器職人が発明した楽器で、1846年に特許を取って依頼ほとんど進化していないのです。
多少は使いやすくなったりしている部分もあるでしょうが、根幹を揺るがすような進化はない。
逆に古い楽器に価値があったりする。
それを使用する人間が進化すればいいのだから、楽器自体は進化しないし、その必要もない。
与えられたものをどう使うのか。
実にアドラー的です。

僕は青山繁晴さんのファンで、彼の出演するラジオや彼の著作物をよく楽しんでいます。
先日のラジオでの彼の発言は考えさせられるものでした。

熊本の一連の地震震源地近くにある川内原発で観測された地震の加速度を示す数値は8.6ガル。
その周辺でも12.6ガル。
原発が自動停止する数値は160ガル。
原子力規制委員会の規定による、原発が耐えなければならない基準は620ガル。
これで原発を止めなくてはならないのだとしたら、すべての技術を信用することができなくなる。
落ちるかもしれない飛行機は飛ばせない、交通事故があるから車は走らせられない。

この事実をどう考えるのか。
車が発明されて依頼、車によって起こった事故による死者数には必要悪として目をつぶり、根拠なく(少なくとも計測された数字としての根拠はない)原発を止めろと叫ぶ。

人間の世界にたくさんある矛盾の一つ。
考えていかなくてはならないけど、答えは出にくい。