Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

無力。

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熊本の地震は4/14の夜発生し、信じられない事にまだ揺れ続けていいます。

5年前の東日本大震災の時に我々東京人も震度5強というのを経験し、それがどの位の恐怖か実感として知っています。
ましてや、震度7ってなんなん?
さらに続けて震度5とか6の余震、それ以下でも有感地震が600回超。
震度5の余震って言われても全然ピンと来ない。全部本震じゃん。
テレビを一時間つけていれば、2〜3回は必ず九州地方の地震速報。

これは完全に異常事態です。
地震学者はザックリと、どこで巨大地震がおこってもおかしくないなどどいい、九州地方にも警鐘は鳴らしていたと述べる。
要は、50年とか100年なんていう単位は地球的な物差しでは一瞬でしかない。
人間がピンポイントで地震予知をするなんて最早諦めて、その予算を災害対策に使う方がいいような気がします。(地震研究には成果が出ていない割にものすごく予算が取られています。年間100億!?)

僕の奥さんは5年前の地震の時も身重で、また今回も妊娠中。
もしも今関東地方に大地震が起こったら、逃げるのは容易ではない。
そういう別の緊張感もただよっています。

地震に対しては人間は無力です。
これを認めて、謙虚に受け入れるしか選択の余地はありません。

そういえば5年前、iPhoneに入れた「ゆれくる」というアプリは、震度3に設定するとうるさ過ぎるので震度4にしたまま。
九州では震度5にしないとうるさいでしょうね。
またあの音、癇に障るんだよなぁ。
あとACのCMね。
あれが始まると、恐怖を感じるとうちの奥さんは言います。

日本ほど良い国は他にないと思うけど、地震だけはなぁ。
本当に恐ろしいです。

学び

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人に教える様になって多少の年月を経ましたが、とにかく言えるのは教えている当の自分の為になっているという事です。

 
初めて楽器を触る人の気持ちを、自分のその時の事と重ね合わせる。
自然に初心に帰ることができます。
あの時、僕が今するように教えてくれればもっと早く上達出来たのに-、的な。
過去は巻き戻せないけど、初心に帰ることが出来る。
これが、教えるという事の素晴らしい点です。
 
上達し、傲慢になった自分を省みる。
まるで、教え手としての自分が自らを教えているようです。
 
そして結果的に現れる生徒さんの上達。
弊害としては生徒さんは自分に似て来るという点でしょうか。
初心者は当たり前ですが何も知らない無垢な状態です。
良い悪いの判断はできません。
全ては、教師にかかっています。
知らないのを認めて素直に従える人と、ちょっと教えるとすぐ自分流でやりはじめてしまう人がいます。
大人の方に教えているので、特にそれについてとやかくは申しませんが、素直にコチラの言うことを実践出来る人は上達も早い事は確かめられました。
そんな中で自分が学ぼうとする態度はどうだ?(または、どうだった?)と自問をする事になります。
 
「学ぶ」という言葉は辞書によると、まねぶ(まねをする)から来ており、師匠なり教師なり自分の手本を見つけて真似をするというところに真髄があるそうです。
 
真似て、型を知ること。
よく言われる、型破りとは斬新な様をいいます。
斬新な事をやりたければ、まずは型を知る必要があります。
破るべき型を知らなければ破りようがないからです。
いきなり自由にやることを否定はしませんが、ほとんどの場合、形無し(型なし)になってしまいます。
 
間口の広いジャンルの方は特に注意しないと、形無し地獄に入ってしまいます。

saxman220.hatenablog.com

というわけで、まだまだ僕は教えていきます。

生徒さんとともに成長していきたいのです。

ペットという存在

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殺処分という言葉は日本では主に動物に使う言葉です。
ヨーロッパ等では、ペットへの扱いが日本とは違い、殺処分を全くしていない国もあるそうです。

ペットとして飼われていた動物が、人間の勝手な都合で捨てられ、引き取り手がいなければ殺される。
勝手なもんです。
もう、ペットを売る方も買う方もその動物への責任を法律で決めなくてはいけない時期かもしれません。

売る方で言えば悪質なブリーダーの存在。
不衛生な環境で無理やりに繁殖させられ、約に立たなくなれば殺される。
ペットショップにしたって、結局は商品ですから売れずに大きくなり過ぎれば値段を下げていく。
下げれば意識の低い飼い主の元へいく可能性が上がる…
なんかね、人身売買はもちろん犯罪なんですが、動物のそれも同じ感じがしませんか?

ちゃんと法廷で宣誓的なことをして、責任の所在をハッキリさせ、その上で初めて欲しい犬種のブリーダーに必要な数だけ繁殖させてもらう。(いや、それもどうかと思うな…飼育する環境を含めて厳格な資格を得て、その上で保護が必要な犬とお見合いするって方がいいな。)
それぞれの動物には(可哀想だけど)GPSを埋め込み、所在を常にハッキリさせる…。

このくらいはやらないと、動物は守られない気がしてならないんです。
ここまですると、飼うのにものすごい覚悟がいる。

でね、さらに言って犬猫はそれでいいとしても、日々大量消費されていく牛豚鳥たちはどう扱う?
そこだけ軽く見るの?

もう、動物の話すると最終的にはここに行き着くんですよ。
そこには多くの矛盾がある。
人が生きて行くには動物たちの命をいただかなくてはならない。
命は本来等しく大切。
食物連鎖の頂点に立つライオンは食べ過ぎれば結局は自分たちが飢える。
自然が自動的にバランスを取ってる。
人間は最早そこには属さなくなったので、バランスはその倫理観が取ることになる。
すると、人類の友達、犬猫の命は牛豚の命より大切になる。
なんか変だけど、そんなもんだよね。
食べて命を奪うのはまだ殺処分よりはましという事なのかな。
だとすればやはりペットになりえる動物は法律で保護しないと、悪い飼い主にあたって酷い事になる場合もある。
昆虫とか植物はこの中には入れてもらえないの?
そりゃ、無理だよ。
やっぱり命には重い軽いがあるんだね。
ないよ、ないけど…。

ひとつの命より、その種の保存が大切。
この前提に立てば生命にはより重いものと軽いものがあることになる。
弱い生き物は沢山産み、強い生き物はその遺伝子を残すため、絶えずメスをめぐって命を賭けて戦う。
人間と絡むことでその種を長らえてきた犬猫の仲間は人間にどんな風に扱われてもある意味で自業自得。
そこを分かった上で可愛さ、人懐っこさに磨きをかけてきた。

僕はペットは飼いません。
なんか姉の飼っている可愛い犬を見るたびに考え過ぎちゃって…。
とてもとても飼えないのです。