Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

テクノロジーのジレンマ

f:id:saxman220:20160502180552j:plain

最近の技術革新はめざましく、中でも注目されているのはドローンと自動運転。
どちらも本当に素晴らしい技術だし、完璧に完成すれば文句なしに生活を一変させる可能性がある。
ただし、完璧でなければならない。

完璧でないドローンは事故を起こします。
確か、アルペンスキーの世界大会かなにかで、選手の滑走中に撮影機器を取り付けたドローンが墜落。
あわや、と言うところで衝突は免れたものの、本当にヤバかった。
自動運転はまだ目立った事故はないものの、事故が起こった際の責任は誰にあるのかという議論がよく聞かれます。(今調べたら、○oogleが事故ってた-!)

実はこの手の話って、ものすごく昔から言われていていて、車が世の中に出回った頃とか、旅客機で人を運び始めた頃とか…
1つの例外もなく、何か新しい技術が開発されると、必ず犠牲者が出ている。
だからと言って、誰も技術の進歩を止めることは出来ない。
全世界の交通事故の犠牲者数を知ったとしても、車が世の中からなくなるはずもない。
それほどに人は便利さを愛し合理性を求めているから。

今度某国営放送で死んだ恋人をAIで蘇らせるって内容のドラマを放送するらしいです。
死の悲しみを乗り越えることはせずに、ただ技術によってごまかす。
今後あり得る話です。

個人的にはテクノロジー大好きです。
新しいiPhoneを手にすると、もう前のには戻れないと毎回感じる。
最近進化のスピードが緩んできたパソコンも、リニューアルする度に、たとえ使えたとしても前のはただの大きな文鎮と化する。

我が楽器、サックスはどうか?
サックスという楽器は、アドルフ・サックスさんという一人の楽器職人が発明した楽器で、1846年に特許を取って依頼ほとんど進化していないのです。
多少は使いやすくなったりしている部分もあるでしょうが、根幹を揺るがすような進化はない。
逆に古い楽器に価値があったりする。
それを使用する人間が進化すればいいのだから、楽器自体は進化しないし、その必要もない。
与えられたものをどう使うのか。
実にアドラー的です。

僕は青山繁晴さんのファンで、彼の出演するラジオや彼の著作物をよく楽しんでいます。
先日のラジオでの彼の発言は考えさせられるものでした。

熊本の一連の地震震源地近くにある川内原発で観測された地震の加速度を示す数値は8.6ガル。
その周辺でも12.6ガル。
原発が自動停止する数値は160ガル。
原子力規制委員会の規定による、原発が耐えなければならない基準は620ガル。
これで原発を止めなくてはならないのだとしたら、すべての技術を信用することができなくなる。
落ちるかもしれない飛行機は飛ばせない、交通事故があるから車は走らせられない。

この事実をどう考えるのか。
車が発明されて依頼、車によって起こった事故による死者数には必要悪として目をつぶり、根拠なく(少なくとも計測された数字としての根拠はない)原発を止めろと叫ぶ。

人間の世界にたくさんある矛盾の一つ。
考えていかなくてはならないけど、答えは出にくい。

無力。

f:id:saxman220:20160421120419j:image
熊本の地震は4/14の夜発生し、信じられない事にまだ揺れ続けていいます。

5年前の東日本大震災の時に我々東京人も震度5強というのを経験し、それがどの位の恐怖か実感として知っています。
ましてや、震度7ってなんなん?
さらに続けて震度5とか6の余震、それ以下でも有感地震が600回超。
震度5の余震って言われても全然ピンと来ない。全部本震じゃん。
テレビを一時間つけていれば、2〜3回は必ず九州地方の地震速報。

これは完全に異常事態です。
地震学者はザックリと、どこで巨大地震がおこってもおかしくないなどどいい、九州地方にも警鐘は鳴らしていたと述べる。
要は、50年とか100年なんていう単位は地球的な物差しでは一瞬でしかない。
人間がピンポイントで地震予知をするなんて最早諦めて、その予算を災害対策に使う方がいいような気がします。(地震研究には成果が出ていない割にものすごく予算が取られています。年間100億!?)

僕の奥さんは5年前の地震の時も身重で、また今回も妊娠中。
もしも今関東地方に大地震が起こったら、逃げるのは容易ではない。
そういう別の緊張感もただよっています。

地震に対しては人間は無力です。
これを認めて、謙虚に受け入れるしか選択の余地はありません。

そういえば5年前、iPhoneに入れた「ゆれくる」というアプリは、震度3に設定するとうるさ過ぎるので震度4にしたまま。
九州では震度5にしないとうるさいでしょうね。
またあの音、癇に障るんだよなぁ。
あとACのCMね。
あれが始まると、恐怖を感じるとうちの奥さんは言います。

日本ほど良い国は他にないと思うけど、地震だけはなぁ。
本当に恐ろしいです。

学び

f:id:saxman220:20160411110541j:plain

人に教える様になって多少の年月を経ましたが、とにかく言えるのは教えている当の自分の為になっているという事です。

 
初めて楽器を触る人の気持ちを、自分のその時の事と重ね合わせる。
自然に初心に帰ることができます。
あの時、僕が今するように教えてくれればもっと早く上達出来たのに-、的な。
過去は巻き戻せないけど、初心に帰ることが出来る。
これが、教えるという事の素晴らしい点です。
 
上達し、傲慢になった自分を省みる。
まるで、教え手としての自分が自らを教えているようです。
 
そして結果的に現れる生徒さんの上達。
弊害としては生徒さんは自分に似て来るという点でしょうか。
初心者は当たり前ですが何も知らない無垢な状態です。
良い悪いの判断はできません。
全ては、教師にかかっています。
知らないのを認めて素直に従える人と、ちょっと教えるとすぐ自分流でやりはじめてしまう人がいます。
大人の方に教えているので、特にそれについてとやかくは申しませんが、素直にコチラの言うことを実践出来る人は上達も早い事は確かめられました。
そんな中で自分が学ぼうとする態度はどうだ?(または、どうだった?)と自問をする事になります。
 
「学ぶ」という言葉は辞書によると、まねぶ(まねをする)から来ており、師匠なり教師なり自分の手本を見つけて真似をするというところに真髄があるそうです。
 
真似て、型を知ること。
よく言われる、型破りとは斬新な様をいいます。
斬新な事をやりたければ、まずは型を知る必要があります。
破るべき型を知らなければ破りようがないからです。
いきなり自由にやることを否定はしませんが、ほとんどの場合、形無し(型なし)になってしまいます。
 
間口の広いジャンルの方は特に注意しないと、形無し地獄に入ってしまいます。

saxman220.hatenablog.com

というわけで、まだまだ僕は教えていきます。

生徒さんとともに成長していきたいのです。