2017年12月18日。
父が息を引き取りました。
82歳でした。
喪主を務めたこともあり、亡くなってから今までがあっという間の出来事でした。
年末の忙しい時期ではありましたが、逝く人の運命はそんなことを忖度しません。
それはいつも突然やってくるのです。
そして、愛する人を半ば暴力的に奪い、残された人々は自分を顧みるようになる…
父の通夜、葬儀には本当にたくさんの方が来てくださいました。
生前父と街を歩くと、一足ごとに挨拶をし続けていました。
この人はなんて知り合いが多いんだと、いつも思っていました。
江戸っ子を絵にかいたような、仕事と祭りに生きた人生だったように思います。
絶対に取り返しのつかないことって、たくさんあります。
瀬戸物のお皿が割れたらもうどうしようもない。
そんなことを後悔してもどうにもならない。
僕はどこか、あらかじめそういう事があるということを念頭に置いて生活している節があります。
自分の楽器は自分にとってスペシャルですが、楽器も所詮モノなので、いつかは壊れるだろうし、盗まれるかもしれない。
そうなったら、もうどうしようもない。
ただ、その楽器とともに生きた時間が、僕に楽器を操る技術を残してくれています。
大切なものは自分の中にしまっておきたいのです。
心の中にしまえるものだけが、無くなってしまわないものなんだと思います。
だから、僕の父は僕の中で完全には死んでしまうことはないのです。
父から受け取ったものは、今度は自分の子供たちに伝えていきます。
そしてこの経験は僕をきっと一段上に引き上げてくれると思います。
そうしなければいけないと思うのです。
故人が最期まで身に着けていた腕時計が今、僕の腕にあります。
ここに父がいるわけではないのですが、それを見るたびにちょっと父に思いを馳せることが出来るのはうれしいことです。
父の通夜、葬儀告別式においで下さった皆様に、心から感謝いたします。
故人へのご厚情に厚く御礼を申し上げます。