Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

言葉とメロディー

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歌詞は言葉だから、具体的にシンプルに言うことも出来る。
でもメロディーそのものにはそういう力はないんじゃないかと思っています。


象の背中 旅立ちの日 - YouTube

この動画を見て、僕は割りとしれっと涙がでます。
これは何による涙なんだろう。
この曲は確かに美しいメロディーを持っているし、歌っている御仁もいい声してる。
でも多分それで泣けた訳ではないと思います。
やはり、ほんわかした映像と歌詞の力が大きいでしょう。
自らの死がテーマで、残された家族へのメッセージ。
こんなに分かりやすい事は無い。
最近では、泣くことのストレス解消効果に注目が集まっていて、涙活なんて言葉もあるくらいです。

みんな積極的に泣きに行く。
大概はわかりやすいストーリーと言葉による、死と同情への涙活。

優れた映画監督は台詞で具体的な状況を説明するのではなく、映像や演出でそれを観客に悟らせるといいます。
俳句や短歌などでは、文字数の制限から言葉の裏にそっとしのばせる美しさがあります。
優れた文学も行間にこそ本当に伝えたいことが見える。

これらはすべて具体的な言葉にした瞬間に消えて無くなるタイプのものです。

僕は常々、メロディー(旋律)には言葉になおるような何かは表現出来ないと考えています。
例えば、マイナースケールはメジャースケールに比べてなんとなく物悲しく聞こえはします。しかし、アレンジによっては勇ましくもなるし、楽しげに作りかえる事も出来ます。
メロディーはその時々で変幻自在なのです。
聞き手の体調とか気分でもどんどん印象に変化がつきます。
それはとてもグラデーションしていて、具体的な事は何もない。

ただ、タイトルとか歌詞とかをのせると突如としてその美しさの方向性が決定づけられます。
これは悪いと限ったことではありません。
しかし、イマジネーションの幅が狭められてしまうことは間違いない。

楽曲は作曲家を時として超えていきます。
空気中に音が放たれた瞬間に、それを好んだり嫌ったりは聞き手に委ねられてしまうのです。
作曲家が悲しみをテーマにしていたとしても、聞き手によってはそう聞かれる保障はありません。

ウエディングの際に、別れるタイプのメッセージの込められた曲を入場に使ってしまうミスを目にした事があります。
もちろん指摘するような野暮はしません。
当人達にしてみたらその事実さえ知らなければ全然関係ないんです。
日本語による歌詞の情報がなければ、当人達は気持ちよくパーティーを過ごせるのです。

音楽にとって言葉はある種、暴力的な力を持ちます。
イメージの限定です。
しかし、抽象化されるとポップからは遠ざかる。
これはあらゆるジャンルに共通しています。
イメージをわかりやすくすることで、人々に受容されていく…。

いたたまれないなぁ。