Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

テクノロジーのジレンマ

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最近の技術革新はめざましく、中でも注目されているのはドローンと自動運転。
どちらも本当に素晴らしい技術だし、完璧に完成すれば文句なしに生活を一変させる可能性がある。
ただし、完璧でなければならない。

完璧でないドローンは事故を起こします。
確か、アルペンスキーの世界大会かなにかで、選手の滑走中に撮影機器を取り付けたドローンが墜落。
あわや、と言うところで衝突は免れたものの、本当にヤバかった。
自動運転はまだ目立った事故はないものの、事故が起こった際の責任は誰にあるのかという議論がよく聞かれます。(今調べたら、○oogleが事故ってた-!)

実はこの手の話って、ものすごく昔から言われていていて、車が世の中に出回った頃とか、旅客機で人を運び始めた頃とか…
1つの例外もなく、何か新しい技術が開発されると、必ず犠牲者が出ている。
だからと言って、誰も技術の進歩を止めることは出来ない。
全世界の交通事故の犠牲者数を知ったとしても、車が世の中からなくなるはずもない。
それほどに人は便利さを愛し合理性を求めているから。

今度某国営放送で死んだ恋人をAIで蘇らせるって内容のドラマを放送するらしいです。
死の悲しみを乗り越えることはせずに、ただ技術によってごまかす。
今後あり得る話です。

個人的にはテクノロジー大好きです。
新しいiPhoneを手にすると、もう前のには戻れないと毎回感じる。
最近進化のスピードが緩んできたパソコンも、リニューアルする度に、たとえ使えたとしても前のはただの大きな文鎮と化する。

我が楽器、サックスはどうか?
サックスという楽器は、アドルフ・サックスさんという一人の楽器職人が発明した楽器で、1846年に特許を取って依頼ほとんど進化していないのです。
多少は使いやすくなったりしている部分もあるでしょうが、根幹を揺るがすような進化はない。
逆に古い楽器に価値があったりする。
それを使用する人間が進化すればいいのだから、楽器自体は進化しないし、その必要もない。
与えられたものをどう使うのか。
実にアドラー的です。

僕は青山繁晴さんのファンで、彼の出演するラジオや彼の著作物をよく楽しんでいます。
先日のラジオでの彼の発言は考えさせられるものでした。

熊本の一連の地震震源地近くにある川内原発で観測された地震の加速度を示す数値は8.6ガル。
その周辺でも12.6ガル。
原発が自動停止する数値は160ガル。
原子力規制委員会の規定による、原発が耐えなければならない基準は620ガル。
これで原発を止めなくてはならないのだとしたら、すべての技術を信用することができなくなる。
落ちるかもしれない飛行機は飛ばせない、交通事故があるから車は走らせられない。

この事実をどう考えるのか。
車が発明されて依頼、車によって起こった事故による死者数には必要悪として目をつぶり、根拠なく(少なくとも計測された数字としての根拠はない)原発を止めろと叫ぶ。

人間の世界にたくさんある矛盾の一つ。
考えていかなくてはならないけど、答えは出にくい。