Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

AI化の波からミュージシャンは逃れられるのか?

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就業者の49%「将来、機械や人工知能で代替可能」 NHKニュース

18世紀半ば、イギリスで起こった産業革命でも技術革新によって上記のニュースの様な状況はあったはずでしょう。
でも、最新のテクノロジーの進歩のスピードは当時の比じゃない。

今ある仕事の半分が機械化AI(人工知能)化される未来。
ニュースの中で映画監督や音楽家などクリエイティブな仕事はなくならないとしていますが、これはどうかなぁ。
今回はこれに関するBad Endingを考えてみました。

工業製品的な音楽や映画ってものすごくたくさんあります。
これは、例えば流行などのデータを取って人々のニーズにあった作品を作っているわけです。

つまり、創造している訳ではないとも言える。

大衆に受け入れられるという1点に絞ると、そこには創造なんて必要ない場合も多い。
斬新な何かを作るという点に絞れば、そこには創造が必要です。
創造主が一人いて、斬新な何かを作ったら、今度はそれを大衆に分かりやすい形で還元する技術があればいい。

これは多分、AI化出来ちゃうでしょうね。
その意味では、真の意味での芸術家または真の意味での感動を届けらる者以外はここで挙げられた半分の職と同様に職を失う事になりそうです。

これは音楽の制作者だけでなく楽器演奏者も同じです。
各楽器のシミュレーションのレベルはどんどん上がってきています。
サックスだけは無理だろうとタカをくくっていましたが、それも大分ましになってきました。
ドラムやピアノなど、叩いて音を出す系の楽器の完成度はやばいくらいに上がっています。

そしてライブで実際に演奏する必要はある種の音楽においてはすでに無くなりはじめています。
エアーバンド(演奏しているフリをする)で一世を風靡したアーチストがいますが、ライブはそれで十分なくらい盛り上がるそうです。
かのビートルズジョン・レノンも、自分達の音楽が聞きたければレコードを聞いてくれと語っています。
それも、1960年代にすでにです。
ライブは音楽を聞く場というよりは、体験を共有する場という感じでしょうか。
つまり、目から入る情報があれば口パクでもいいという事なんです。

その意味で、楽器が自然に扱えるという技術があればまだ演奏家には価値がありそうです。
音を出す必要はないですけど。

最後まで残るのは、デリケートな表現を熱心に聴いてくれる聴衆のいる音楽(クラシック等)の演奏家と、その場勝負の即興演奏家

前者に関しては、相当研ぎ澄ませないとAI化される可能性は否定出来ません。
聴衆に何も伝えず名演奏の録音物を流し、演奏するふりをしたら、それで聴衆がライブ演奏における感動に至る可能性は十分あると思います。

後者に関しては、古いスタイルの踏襲者はやはりAI化されていくと思います。
自分オリジナルの語法(個性)で即興を展開出来る事が大前提。
このふたつとも、現代で言えば主にマイナーな音楽に関わりがありそうな話です。

というわけで、勝手にBad Endingを考えてみました。
まだ先の未来の話です。(そうでもないのかな…)
僕らは結局、今できることを精一杯頑張ることしか選択肢はないんですけどね。

明日12/8は銀座The Deep にて初共演の川久保典彦さんとDuoです。
もちろん、精一杯頑張ります。
是非ご来場下さい。

 

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