Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

とりあえず否定派

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相方によく、とりあえず否定から入るよねー、と言われます。
そうなのかもしれないけど自分では意識してないのでわからないのです。
とりあえず肯定から入るのとどちらが正しいんでしょう?

昔読んだ本の中に、面白くない本など存在しないというくだりがありました。
それは確か、面白さを発見できない読み手としての能力不足を嘆くべきだ的なことが書いてあったと記憶しています。
その時は、なるほどなと思ったんですが、それでもどう考えても面白くない本は存在し続けました。

いい物、好きな物、または肯定的な物って理屈じゃないじゃないですか。
一瞬にして判断出来るというか、判断してしまうことの様な気がするんです。

その判断はいつも一瞬なので、そう思えなかった物はみな否定的な部分をもたざるを得ない。
自分の勉強不足でその価値が理解できないということはあります。
その場合は理解できた“瞬間”に好きになります。
まぁ、傍目からは徐々に好きになっているように見えますが…。

モノの価値基準というのは黒か白しか無いわけではないので、僕のなかではものすごくグレーが多いのです。
その全てがグラデーションになって、全体の色の感じだけを取ってみれば割と白っぽい(肯定的な)グラデーションになっている気がするんです。
そういう意味では、相方の言う、とりあえず否定から入る人では僕自信なくて、なんで素直に好きになれなかったのかと自分を疑っているのかもしれません。

反対になんでも肯定から入る人の思考ってどうなっているんでしょう?
なんでも好きなんてことはないはすですから、ちょっと自分では嫌いだと思っていても常に軽めの嘘をついていくという態度になりますよね?

対人間関係としてはスムーズに行くでしょうけど、嘘をつているのは「なんでも否定派」よりもむしろ「なんでも肯定派」ということになりはしませんか?

物事の良い面を見るようにしなさいって正論があります。
これは、悪い部分には目をつぶってという枕詞が付くことになりますよね。

誰が見たって良いと分かる面なんて着目するに値しないんじゃないかという事なんですよ。
だって誰にでも分かるんですから。(二回言った。)
それよりは、カウンターに目を向ける方が面白いんじゃないかなと。

だから、僕は何も否定から入りたくて入っている訳じゃないんです。
自覚もないですし。
もし知らずに不快な思いをさせていたとしたらお詫びします。