Chasin' the Sound 5th

サックス(フルート)/ サウンド・デザイナー 栗原晋太郎のオフィシャルブログ

Jam Session

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ジャズミュージシャンはリハーサル無しに集まってその場で曲を決めてせーので音を出します。
多くのジャズミュージシャンは、例えばスタンダード曲がいくつもあって共通言語が多いのでそういう事が可能になります。

そんな場で目立つには、突出して楽器が上手いことが最重要です。
人よりも速いパッセージを演奏するとか、人よりも高い音を出すとか。

突然その場の共通認識を覆すようなプレイは、そのアイデアについて来れないプレイヤーを混乱させある意味“和”を乱します。
なので、めちゃくちゃ上手い以外のアイデアはあまり喜ばれません。

1940年代のビバップ黎明期は、ソリストの重要性が高まりはじめた時期なのでジャムによる切磋琢磨が意味をなしました。
ただ、その功罪もあって当時ナンバーワンプレイヤーであったチャーリー・パーカー(アルトサックス)のプレイにあらゆる楽器の人が似てしまいました。
ピアノのチャーリー・パーカーとかギターのチャーリー・パーカーとか、そう呼ばれた、またはそれを目指したミュージシャンは沢山いました。

ビバップは複雑で緻密な理論の上に成り立っており、付け焼き刃なプレイヤーには決して演奏できません。
しかし、その複雑さゆえだんだんと一人の天才に引き寄せられ、ついにはある意味みんな同じになっていった歴史があります。
サンキュータツオさんの言う同一の機能を持つ多彩なバリエーションって奴です。
これはこれで素晴らしいことなんですが、とにかく同じ機能なのでそれを超えるような革新は生まれにくい。

そこまでで、ジャムセッションによる音楽的な価値の高まりに限界がきて、マイルス・デイビスのようなアイデア中心のミュージシャンが台頭して来ます。

最初にマイルスが提唱したのはたった一つのスケール(モード)によるアドリブでした。
これまでは出来るだけコードを細分化し、複雑なスケールを駆使してきたビバップのミュージシャンにはきつかった。
マイルスは上手さに重点を置かず、センスに重点を置いた。

ジャズミュージシャンの間に風穴が空きました。

正しい意味でついてこられたのは、当時のマイルスのバンドにおいてですら、ピアノのビル・エバンスとテナーサックスのジョン・コルトレーンだけでした。(二人ともバカテクですが…)
その他のメンバーの演奏からは困惑が聞こえると僕は思っています。

その後、二人とも革新的な発展を遂げます。
もちろん彼らの音楽も彼らが選んだミュージシャンにしかある意味では演奏できません。
ジャムセッションでどうのこうのというタイプの音楽ではないのです。

やがて、その斬新だったアイデアも定着するとジャムセッションで演奏されるようになります。
つまりジャムセッションはアイデアを生み出す場ではなく、共通言語として消化されたアイデアを披露する場になったのです。
こうなると、アイデアを重視するミュージシャンはジャムセッションにあまり顔を出さなくなり、ジャムセッションの現場には停滞が起こる…。

一方、例えばロックやポップス系のミュージシャンは自分達で曲を作ったり、アレンジをします。
なので人前で聞かせる時にはきっちりと煮詰めてきます。作家がいる場合はなおさらです。
本番でジャムる(適当にやる)なんてことはあまりない。
能力から言っても、ジャズミュージシャンのように即興演奏を自在に展開できるはずもありません。
しかしながら、ビバップの(パーカー以外の)ミュージシャンのようにオリジナリティーの追求を放棄するバンドマンはそれほどはいないはずです。
オリジナルでいること、オリジナル楽曲を持つことこそが(当たり前ですが)アイデンティティーだからです。
似たようなオリジナルは、オリジナルとはいえない?
でもメンタリティーとしてオリジナルであることを重要視していることは間違いありません。

どんなジャンルでも、高められ、職人芸化してしまうと思考は停止し、後には似たようなものだけが量産されます。
そうなると人はヒーローを求め、待ち望み、イノベーションをその希望に託すようになる。
ヒーローがなかなか出てこなくなると、そのジャンルは勢いを失い固着してしまう。

そういうものなのかもしれません…

とはいえ、ほろ酔いでジャムセッションするのはこの上なく楽しいものです。

あっ、8/15(土)は“すみだジャズ”です。錦糸町に集まれ~!

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